東京常備菜ライフ

雑草・野草を取り入れた自炊ライフ・日光浴・図書館・音楽・読書・フラッシュライト(flashlight)・電池・LED

2つの苦い思い出

天気予報に従って、電車通勤と恵比寿。
SOLEでタンニング。スーパーアポロ20分。
恵比寿から徒歩で帰宅途中、台風はどこへ消えてしまったんだという天気だった。
湿気もなく爽やかな大気。(´・ω・`)

今日のタイトルは、若き日の過ち。
■その1 自転車通勤
普通四輪免許を取ったのが昭和51年3月なので、30年前の話だ。
免許を取るからには、当然、自家用車を持つことを考えていた。そして、運転するためには勤務先(丸の内)と大学(御茶ノ水)に行くルートくらいは覚えておこうと思い、自転車通勤・通学をすることを思いつく。
しかし、当時の自分が乗っていたのがどんな種類の自転車だったのか、さっぱり思い出せない。
自転車通勤のノウハウなどは全く考えず、行きも帰りも同じルート。
駒沢通りから渋谷橋を直進、六本木通りもまっすぐ、溜池を抜けてそのまま内堀通りから丸の内。もちろん、全区間車道走行。
当時、装着していたスピードメーターはアナログ式のいい加減なもので、自分では車と互角に張り合って、60km/hくらいは軽く出ていると思いこんで爆走していた。
もちろん、若かった(20代)ので体力があった訳ではなく、スピードもたいしたことはなかっただろうし、六本木のアップダウンでは、すぐ自転車を下りて押していたし。
また、天候を考えることもなかったので、雨の日は、片手に傘をさしながらという無謀運転だった。
以前の日記に書いたことがあるかもしれないが、大学(夜間部)の帰りに、雨の中を傘をさしながら走っていて、国会議事堂に向かう坂で警官に不審尋問されたことがあった。
そんなことを1年くらいは続けていたはずだが、今から考えると、よく交通事故にあわずに生き延びられたものだと思う。

■その2 ボディビル
こっちは、約20年前。
腰痛治療の目的で始めたトレーニングだったが、熱心にサンプレイに通っていたのはせいぜい2年程度だった。
当時は、組合活動が忙しなり、ジムに行けない日が多くなりつつあった。
週に4日が3日になり、ついには会費を滞納してそのまま自然退会。
しかし、トレーニングをしないと腰痛が再発するという危機感から再入会。
この、一度退会してから再入会するまでのブランク(一年程度?)が致命的だった。
ブランクの間に、特に心肺機能の衰えが大きく、いきなりボディビルのトレーニングを再開しても、筋肉を追い込む前に息切れしてしまうという状態に陥ってしまったのだ。
この当時は、スクワットをやっても、十分なレップス数に到達しないうちに酸欠状態になって、レップスを継続できないということがよくあった。
また、せっかく復帰しても、組合活動から手を引いた訳ではないので、せいぜい、週に2,3日という頻度だった。
そこに、降って湧いたように目の前に現れたのが、その当時の月刊ボディビルディングに紹介されたマイク・メンツアーのハイ・インテンシティ(高強度)トレーニング理論だった。
レーニング時間の確保に頭を悩ませていたオレは、これしかないとばかりに飛びついたが、すでに心肺機能がボロボロで追い込むことができない自分には、気休めにもならないことは火をみるより明らかだった。